戦艦大和からロードスターへ!11年目でも売れ続けるマツダと広島のものづくり
2015年に登場した現行型のNDロードスター。
2026年で、なんと登場から11年目を迎えました。
クルマの世界では、発売から年数が経てば販売台数が落ち、新型へのモデルチェンジが期待されるのが一般的です。
ところがロードスターは違います。
今でも高い人気を維持し、さらに最近では若い世代や女性の購入者も増えているそうです。
なぜロードスターは、これほど長く愛され続けるのでしょうか。
その理由を調べていくと、単純に「カッコいいスポーツカーだから」というだけではないことが分かってきました。
ロードスターの背景には、広島という土地、戦後復興、そしてマツダが受け継いできたものづくりの歴史があります。
今回は「11年目でも売れるNDロードスター」という話から、少し時代をさかのぼってマツダという会社について考えてみたいと思います。
NDロードスターは11年目でも売れ続けている

NDロードスターが登場したのは2015年。
先代NCロードスターのモデルライフがおよそ10年間だったことを考えると、NDはすでにかなりの長寿モデルです。
それでも人気は健在。
購入者の中心は40代以上ですが、興味深いのは若い世代が増えていることです。
記事によると、過去6年間で20代以下の購入者は約2倍に増加。
さらに20代女性に限って見ると、2020年に56台だった購入台数が、2025年には291台まで増えています。
約5倍です。
ロードスターと聞くと、
「昔からクルマが好きな男性が乗るスポーツカー」
というイメージを持っている人もいるかもしれません。
しかし実際には、SNSなどを通じて若い世代にもロードスターの魅力が広がっています。
11年前に登場したクルマなのに、新しい世代のファンが入ってくる。
これはかなり面白い現象だと思います。
マツダは11年間「同じクルマ」を売っているわけではない
もちろん、2015年に発売したロードスターをそのまま売っているわけではありません。
マツダはNDロードスターに改良を重ねてきました。
法規対応はもちろん、走行性能や制御、静粛性、デザインなどを少しずつアップデートしています。
2026年には新たなボディーカラー「シングリーンメタリック」も登場。
ロードスターの基本的な魅力は変えず、時代に合わせて完成度を高め続けています。
新型へ切り替えるのではなく、
「良いものを長く育てる」
という考え方です。
これが11年目でも古さを感じさせない理由の一つなのでしょう。
ただ、ロードスターがこれほど特別な存在になった理由は、それだけではないと思います。
マツダの歴史を知ると、ロードスターというクルマが少し違って見えてきます。
マツダのクルマづくりには「戦艦大和」の時代から続く技術がある
個人的に驚いたのが、マツダの開発現場では現在でも、
「WL(ウォーターライン)」
「BL(バトックライン)」
「TL(トランスバースライン)」
といった言葉が使われているという話です。

これらはもともと船の設計で使われる用語。
一般的な自動車メーカーならX・Y・Zなどで表すところを、マツダでは造船由来の言葉が残っているそうです。
なぜ自動車メーカーで船の言葉が使われているのでしょうか。
そのルーツの一つが、広島県呉市にあります。
呉はかつて「東洋一の軍港」と呼ばれ、戦艦大和をはじめとした艦船が建造された場所でした。
しかし1945年に戦争が終わると、軍需産業を中心としていた地域は大きな転換を迫られます。
一方、当時「東洋工業」だったマツダも原爆によって100人以上の従業員を失いました。
終戦時には動員された人々などを含め約1万人が働いていましたが、事業停止などによって同年10月末には約800人まで減少したとされています。
そんな状況からマツダは再出発します。
戦艦を造った技術が「人を乗せるクルマ」へ
戦後、マツダは仕事を失った呉の技術者や職人を積極的に受け入れました。
そこで造船で培われた、
船体を組み立てる技術
金属を加工する技術
塗装する技術
などが自動車づくりへと受け継がれていきます。
先ほどのWL・BL・TLという言葉が現在まで残っているのも、その歴史の名残だといいます。
ここが個人的にはすごく印象に残りました。
戦争のために発達した高度なものづくりの技術が、戦争が終わったことで失われたわけではない。
その技術を、今度は人々の生活を豊かにするクルマづくりへ使った。
技術そのものに善悪があるというより、「何のために使うのか」が大切なのだと考えさせられます。
原爆投下からわずか数カ月で三輪トラックを生産
さらに驚かされるのが復興の早さです。
マツダの本社は爆心地から距離があったため壊滅的な被害を免れ、戦後は県庁や裁判所、NHKなどが一時的に機能を移しました。
そして終戦からわずか数カ月後の1945年12月。
マツダは10台の三輪トラックを完成させています。
広島が壊滅的な被害を受けた年に、すでにクルマを作り始めていたわけです。
現在では世界130以上の国・地域でマツダ車が販売されています。
広島から再出発した会社が、世界へクルマを送り出すメーカーになった。
この歴史を知ると、ロードスターの見え方も変わってきます。
ロードスターは「平和だから楽しめるクルマ」
そして今回、僕が一番考えさせられたのがロードスターと平和の関係です。
ロードスターは2人乗り。
荷物もそれほど積めません。
家族みんなで乗れるわけでもありません。
屋根まで開きます。
実用性だけを考えたら、ミニバンやSUVのほうが圧倒的に便利でしょう。
でも、だからこそロードスターには意味があります。
目的地へ効率よく移動するためではなく、
「クルマを運転すること自体を楽しむ」ために作られたクルマだからです。
2005年にロードスターが日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した際には、
「平和な時代でないとオープンカーは楽しめない」
という趣旨の評価もあったそうです。
これはロードスターというクルマを、とてもよく表している言葉だと思います。
戦艦大和からロードスターへ
もちろん、
「戦艦大和の技術がそのままロードスターになった」
という単純な話ではありません。
ただ、広島・呉に蓄積されたものづくりの技術が戦後の自動車産業へ受け継がれ、その歴史の先に現在のマツダがある。
そう考えると、とても象徴的です。
かつて巨大な戦艦を造っていた地域の技術者たち。
その技術が戦後の復興を支えるクルマづくりへ流れ込みました。
そして何十年もの時間を経て、同じ広島から世界へ送り出されているのが、
風を感じながら純粋に運転を楽しむロードスター。
戦争とクルマを安易に結びつけるべきではありませんが、この歴史の流れには考えさせられるものがあります。
世界59カ国・地域へ届けられるロードスター
ロードスターは1989年に誕生しました。
それから世界累計販売台数は127万台。
2025年度だけでも広島の本社工場で生産されたロードスターが59カ国・地域へ輸出されています。
広島で作られた小さな2人乗りオープンカーが、世界中で楽しまれているわけです。
マツダは世界最大の自動車メーカーではありません。
世界販売は120万台強で、規模ではトヨタなどの巨大メーカーには到底かないません。
だからこそマツダにとって重要なのが、
「なぜマツダを選ぶのか」
という理由なのだと思います。
その答えの一つがロードスターなのではないでしょうか。
EV時代だからこそロードスターが面白い
これから自動車業界は大きく変わります。
EV化、自動運転、AI、ソフトウェア化。
中国メーカーも急速に力を伸ばしています。
単純な価格やスペックだけで勝負すれば、マツダのような比較的小規模なメーカーには厳しい戦いになるでしょう。
だからこそ、
「運転して楽しい」
「デザインが好き」
「このメーカーの考え方が好き」
という数字では比較しにくい価値が重要になってくると思います。
ロードスターが11年目でも売れ続け、さらに20代のユーザーまで増えていることは、その可能性を示しているように感じます。
まとめ:ロードスターが売れ続ける「本当の理由」
最初は、
「なぜ11年も前に発売されたロードスターが売れ続けているんだろう?」
という単純な疑問でした。
もちろん理由として、
・美しいデザイン
・軽量な車体
・人馬一体の走り
・継続的な商品改良
・SNSを通じた若者への広がり
などがあるでしょう。
でもマツダの歴史まで調べてみると、それだけではないように感じました。
戦争によって大きな被害を受けた広島。
仕事を失った造船技術者たちを迎え入れ、戦後の自動車づくりへ技術をつないだマツダ。
そこから何十年もの時間を経て、世界中の人が屋根を開けて風を感じながらドライブを楽しむロードスターが生まれました。
「平和な時代でないとオープンカーは楽しめない。」
ロードスターは単なるスポーツカーではなく、平和だからこそ成立する「人生を楽しむためのクルマ」とも言えるのかもしれません。
そして2026年。
登場から11年が経過したNDロードスターが今なお売れ、若い世代にもファンを広げています。
新しいものを次々と投入するのではなく、自分たちが大切にする価値を守りながら進化させる。
それこそが、規模では世界最大ではないマツダが世界で「選ばれる理由」なのではないでしょうか。
戦艦を造った時代から、風を感じて走るロードスターの時代へ。
広島のものづくりの歴史を知ったあとにロードスターを見ると、いつもとは少し違って見えてきます。